6年間の保育園勤務後、
オーストラリアへ留学。

海外で見た「自由の保育」に感銘を受け、
「私の目指す保育はコレだ!」と、
帰国後は独立して訪問保育の道へ。


一対一の保育から見える
子ども一人ひとりが持つ個性の素晴らしさを再発見する。


訪問保育に従事する傍ら、
並行して心理学やコーチングを学び
ママのための心理セラピーサービスも開始。


自身の姉の育児ノイローゼを目の当たりにしたことで、
どんな人でも正解がない子育てに不安を抱き、迷い、
自分でも気付かないほどの心の苦しみを抱えていることに気付く経験をすることで、
ママの心のあり方に視点を置いた子育てを考えるようになる。


保育士歴13年以上の経験から得た
非言語、非認知の世界で培った経験や知識を活かし、
ママの心のケアにも力を入れ、
ママも子どもも輝ける子育てをサポートしている。

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はじめまして!

子どもの個性を自由に羽ばたかせる保育士
小西なつきです。


私は小さな頃から
「自由になりたい」
漠然と思っていたちょっぴり変わった子でした。

少しだけ、
私の過去のお話をさせてくださいね。

外では大人しく家では天真爛漫の幼少期

私は三姉妹の末っ子として生まれ、
一番下なのもあり、放っておかれながらも家族からは可愛がられて育ちました。

私は内向的と外向的が入り混じった
少し変わった特性があります。

外では借りてきた猫のように大人しく静かにし(笑)
家では言うこと聞かない天真爛漫なタイプでした。

自然が大好きで、家に留まることなく
外に出かけては体を動かして遊び、
草花に触れ、虫もたくさん拾ってきて母を驚かせていたようです(笑)

HSP気質で悩んだ学生時代

私は幼少期から人の顔色を伺うのが常で、
その場の空気感を敏感に察知する子でした。

30歳も半ばでようやくHSPだということが分かり、
昔から感じていた違和感を払拭することができました。

幼稚園の頃にはすでに友達の気持ちが察することができたため、
いろんな感情を受け取ってしまい、
幼いながらにストレスを感じていたのだと思います。

特にネガティブな感情をダイレクトに感じてしまうため、
「人の嫌な面を見たくない・・」と
次第に友達と関わることから距離をとっていたような気がします。

社会に出てもHSPで悩む日々

HSPで悩んだのは学生時代だけでなく、
社会に出てからも続きました。

大好きな保育士というお仕事に就いたものの、
空気感を察する敏感さは変わらず。


上司や同僚、親御さんなど
いろんな人と関わることで、たくさんの感情に飲み込まれ、
調和することが到底難しかったです。

今となっては自分自身の気質を理解できていなかったので、
社会に馴染めない自分自身を責め、
自分の居場所を見失ってしまいました。

保育士を諦め、子供服販売員へ

この時期から夢であった保育士を諦めたことで
「やりたいことはできない」と自暴自棄になりました。


保育士を辞めて何をすればいいのか・・・

それでも働かなければ生活ができない・・


そこでたまたま求人誌で目にした
子供服販売員を経験することになりました。


販売員の仕事はしつつ、
心からやりたいことができない日々は苦痛の日々でした。

「子どもに関わりたい」と思いながらも、
業務は接客や在庫管理など保育とはかけ離れたものばかり。


「私がやりたいことはなんだろう・・」
理想と現実を思い知らされたような・・そんな気分でした。


その頃から次第に無気力となり、
引きこもりがちになりました。


人と会うことも積極的になれず、
何を目標にして生きればいいのか・・


毎日不安な気持ちでいっぱいでした。

そんな気持ちと連動しているように、
車での事故が続きました。


2度目の事故は
3台玉突き事故の真ん中に巻き込まれ、
「死んじゃう・・!」と死を覚悟しました。

命の危機にも直面し、
「これから何が起きるのだろうか・・」と
不安しかない日々でした。

理想の保育とは程遠い怒りの保育

子供服販売員を経験したのち、
姉の出産を機に久しぶりに子どもを抱っこした時のこと。


「やっぱり私は子どもに関わっていなきゃだめだ!」と思い返し、
保育園へ再就職することにしました。

心機一転、もう一度保育士として頑張ろう!
と再起するものの、

新しい保育園は保育士不足の問題がありました。

1人で抱える仕事量が完全にキャパオーバーとなり、
子どもと関われることの幸福感よりも


「仕事をこなさなくては・・」
という別の問題に直面することとなりました。

毎日定時で帰れることもなく、
休日は持ち帰って仕事をすることも当たり前。


どんどん心に余裕がなくなっていきました。

そして、ついには
子どもたちに対して頭ごなしに怒ってしまったり、
しっかりと話を聞く時間さえなくなっていきました。


子どもたちに対して後悔の気持ちが押し寄せて

このままでは子どもが嫌いになってしまうのではないか・・

という不安に駆られ、退職を決意しました。

本当にやりたい仕事ができない辛さ
子どもたちから離れる苦しみ


今もずっと心に残っています。

人生を180度変えた 海外での自由の保育

30歳を機に、
「人生をやり直そう!」と海外留学を決意しました。

ずっと心の中に抱えていた

「これではだめだ」
「人生をもっと良くしたい」


こんな思いがふと降りてきたのです。

留学先はオーストラリアのシドニー。


自然豊かなオーストラリアは
私の心の癒しにもなりました。


日本にいた時には感じられなかった安心感を
オーストラリアで感じることになりました。

そしてオーストラリアでは

ベビーシッターとして家庭内でお世話になったことがキッカケで
シュタイナー教育を実際に見る経験ができました。

シュタイナーの教育は「自由」であること。

自分な好きなことができる、
好きに表現ができる環境

本当に衝撃でした。

「まさに私のやりたい保育だ!」
と感じたと同時に

「私もこの保育をしてもらいたかった」
自分自身の幼少期を重ね衝撃を受けた経験でした。

そんな経験から、
帰国後は自分らしい
「自由の保育」をしようと心に決めました。

変わらない想い

変わらない想い

起業して6年。
私には変わらない想いがあります。


子どもたちには
「自由」=「自分らしく」あってほしいということ。


自由の保育を知ったことで

子どもたちの自由も尊重でき、
幼き日の自分自身の自由を尊重できるようになりました。

「人は自由でいい」

そんな想いを胸に子どもたちへ
そして子どもをもつご家庭のため

保育を通して社会貢献していきたい、
そんな風に思うようになりました。

私がここまで想いを持って来れたのも
「自分は何がしたいのだろうか・・」と悩み、
「海外に行ってみよう!」と諦めることなく
自分の目標を見失わずにいたからです。

その一つ一つの選択、行動が
今に繋がっています。

保育士を諦めていたら、一生後悔していたと思います。


私の生きがいは子どもたちに携わり、
子どもたちのために貢献していくことです。

子どもたちに自由を

私自身、小さな頃からとても繊細で
自由に自分を表現できずに苦しんだ子でした。


自分らしさってなんだろう、
とたくさん考えて生きてきました。

私は1人でも多くの子どもに
自由の保育を届けていきたい。

子どもには
「自分らしく生きてほしい」と願いつつ、

「子どもとどう関わったら・・」
と思っているママであるあなたにも自由の保育を届けたい。

子どもを自由にできる環境があれば、
子どもたちは個性を輝かせながら生きていけます。

心の安定感を持ち、
何事にも屈しない強い子どもになります。


私の使命は、
自由な子どもたちを1人でも多く増やすことです。

これからの時代は自由な子が必要な時代

早期教育での英語やプログラミング、
今は子どもの様々な教育がいろんなところに飛び交っています。

個の存在を尊重し、
自由を根っこにした保育は隅に追いやられ、

本当に大切なことが見失われているように感じてなりません。

人として生きていくために必要なのは、
「自分らしさ」です。

「もっと自由に生きていいんだよ」
「ありのままのあなたでいいんだよ」


メッセージを世の中に伝え続けていきたいです。

子どもたちに伝われば、ママにも伝わる。

ママに伝われば、パパに伝わる。

パパに伝わればおじいちゃん、おばあちゃんにも・・。


そうして少しずつ大きな輪になり、
優しく温かい世界を作っていける。


私はそう信じて
保育士としての活動を続けていこうと思っています。


AIが発達した今、
子どもたちが大きくなったときはどんな世界でしょうか?

「自由な子ども」は
どんなテクノロジーよりも強く、輝ける存在だと信じています。


子どもたちの可能性は無限大です。
一緒に自由な子どもを育んでいきましょう!


 

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